歴史上の事柄は諸説あったり、意図的かどうかは別として、「それって本当!? 」と思うことが結構 あります。 松本城とて例外ではなく、配布されているリフレットや、我々が参考にしている市の刊行 物の内容もそう思う部分があります。

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天守一階「武者走り」

天守一階は周囲の一間よりは、内側の床50cm低い。 これを入側または武者走と呼ぶ。 戦闘の時、武士が 矢玉を持ってここを走り回るのでその名がついたという。 (後略) This passage lines 50cm lower than the first floor's main level. It is called Musha­bashiri or " warriors' running passage" You can imagine, the passage was constructed to allow samurai in full armorduring times of battle to run around the interior and help defend the castle from attack. ~ 場内看板より これをすんなり読むと戦いのために、武者走りが中央部分より低くしてあるようにも受け取れる。 だけど、「それって本当!? 」 どう考えても段差がない方が動きやすい

天守三階 「隠れ階}

前略 この階は外からはわからないので、もっとも安全なため、戦の時武士が集まるところでした。 光は南 側の木連格子からわずかに入るだけで暗く、敵には秘密の階でした。 リフレットより 場内案内板にも「隠れ階」となっています。 「それって本当!? 」 武士がここに集まって何をするのか?上がってくる敵を隠れて迎え討つ?? 敵はたぶん上には上らず城に火をかけるますよね。 そしたら集まっている武士は一網打尽 それに秘密と言うけど望楼型天守には普通にあった構造的な特徴で、秘密でも何でもない。 ここは望楼型の名残が残る屋根裏部屋的な階です。

天守五階のロープをかけた跡

これに関しては下記のような理由であり得ない話です。 さすがにリフレットには載っていません。 完全に伝説とし て話すとしてもどうかなぁ~....? 普通に説明して、ゲストから突っ込みが入れば、笑ってごまかすしかありません。柱に残るロープですれた跡 北側東よりの柱に、へこんだ傷が残されています。 これは、明治の修理の時に、柱に綱をかけて天守を引き起こした跡だと伝えられています。 「私たちの松本城」 P20の囲み記事

柱の傷と加助のお話

Right, well if you’d just have a look here, what do you think made these marks? They were made by a rope, and there is a story to them. Late in the 17th century, about 90 years after it was built, the castle began to lean, a little like the Leaning Tower of Pisa in Italy. It continued to lean as time went on and by the early 20th century it needed to be repaired. At that time, they tried to pull it back with ropes. They tied the rope around this pillar, and then they pulled it through this window from the outside. These marks are the traces of the rope. ALSAテキストより これは私がガイドを始めたとき、最初に疑問に思い、研究員の青木先生に伺った話。 そのとき私がこの話を切り 出したとたんに、「ああ、あれはありえません。 明治の修理のために尽力された小林有也先生を神格化する風潮 があり、そんなことから出た話ではないか」とのことでした。 これに関しては構造的に、力学的に検証する気になれませんが、簡単な理由として 1. 傾いていたのは南西方向で柱の傷の位置、窓の位置からして、北東方向には引っ張れない。 2. もし仮に引っ張ろうと思えば、あんな細い柱1本なんて、ありえない。