石垣の形状

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天守1階の4 面の壁はみな内側に湾曲している。 西側では中央で13cm内側 に入っている。 天守2階の壁も同様に4 面内側に湾曲している。 これは1 階の柱が一番外側 (側柱)と壁側から2 番目の柱(入側柱)が1・2 階通し柱になっているからであ る。 このことは天守台上面が昔の「木製の糸巻状」になっているからである。 これは、石垣が天守台天端の中央部が内側に湾曲して積まれているからであ る。 すなわち、天守台上面は正矩形になっていないということである。 松本城の 造られた時代には天守台上面を正矩形にする石積技術が確立していなかった。 土台は天守台石垣の天端にあわせて写真のように部材を短くして配置されている。 したがって石 垣の湾曲が壁に反映して天主1階・2 階の壁が湾曲するのである。

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石垣の積み方

石の加工程度による分類 石垣は、加工程度によって、野面積み・打ち込み接ぎ・切り込み接ぎの3つに分けられる。 「接ぎ(はぎ)」と は、つなぎ合わせるという意味である。 野面積みが最も古い年代に現れた積み方で、次に打込み接ぎ、切 込み接ぎの順であるが、切込み接ぎの石垣が現れた以降も野面積みの石垣が見られることもある。

野面積み(のづらづみ) 自然石をそのまま積み上げる方法である。加工せずに積み上げただけなので石の形 に統一性がなく、石同士がかみ合っていない。そのため隙間や出っ張りができ、敵に 登られやすいという欠点があったが排水性に優れており頑丈である。技術的に初期の 石積法で、鎌倉時代末期に現れ、本格的に用いられたのは16 世紀の戦国時代のことで ある。野面積みの一種として穴太積み(あのうづみ)があげられるが、穴太積みは穴 太衆が手掛けた石垣であって、特に野面積みの一種をいうものではないという。

打込み接ぎ(うちこみはぎ) 表面に出る石の角や面をたたき、平たくし石同士の接合面に隙間を減らして積み上 げる方法である。関ヶ原の合戦以後、この手法が盛んに用いられた。野面積みより高 く、急な勾配が可能になる。

切込み接ぎ(きりこみはぎ) 方形に整形した石材を密着させ、積み上げる方法である。慶長5年(1600年)以 降、隅石の加工から徐々に平石にまでわたるようになり、江戸時代初期(元和期)以 降に多用されるようになった[出典 1]。石材同士が密着しているので排水できないた め排水口が設けられる。

松本城天守台の石垣

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松本城の天守台はその初期にあたる野面積みで、勾配が緩くそりのない低い石垣です。 なかでも堀に望む西面 は、控えの長い石を左右交互に入れて隅部を造り、積み石には粗放な山石を多く用いた典型的な野面積みです。