いよいよ天守一階です。 たくさんの柱があります。 そして母屋部分(中央部分)が高くなっています。 高くなっている部分の 下に16本の柱があります。 高くなっているのはたくさんの柱の荷重を16本の支持柱に伝えるため、地中梁が組まれている ためです。 そしてこの階では石落としを、場内から確認できます。
天守の各層のいちばん外側を廻っている通路を「武者走り」と呼びます。 低くなっているからそう呼ぶわけではありませ ん。 上述したようにこの部分が低くなっているわけではなく、母屋部分が高くなっているのです。 そして外側の柱が天守台石垣に沿って建てられているため、内側に湾曲しています。
松本城天守創建当時の技術では天守台上面を設計図通りに正矩形(せいくけい)に造 ることは出来ませんでした。 どうしても、規格化した切石を使用していないため内側に 湾曲して積まれ天守台上面が不定形になりやすかった。 姫路城も犬山城も彦根城の天 守台上面は不定形です。 松本城天守の天守台は「糸巻き形」といわれ、中側に湾曲して積まれています。 したがって1階の武者走(廊下)部分はこのアバウトな部分を吸収する役目を果たして いる。 松本城大天守は武者走の内側に正矩形の母屋(もや)(身舎・・これが3・4階の広さ) が造られている。
昭和の大修理の時保存された、創建当時の壁の一部です。 外側にある部分は明治の修理の際、上塗りされた部分で す。 右側の写真は金沢城の土壁の構造模型です。
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雌雄について
松本城の公式見解は、 南、東側にあるもの(口を開いている阿吽の阿)が雄 北、西にあるもの(口を閉じている阿吽の吽)が雌
だと理解しています。 実はこの話、数年前に元会員の方がネットで調査しました。 結果は鯱も含め、仁王像、狛犬 などに見られるように口をあいたものと閉じたものが一対になっており、「阿吽」を表しているというのは共通してい るのですが、雌雄になるとその区別をしていない、松本城の見解とは逆など統一性がなく、よくわからない...という より雌雄という概念が元からあったものではなく後からのものなので、ばらばらになったのではないかと思われます。
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💡 参考サイト
EEKの紀行 春夏秋冬
姫路城英語ガイドのひとりごと
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